この土日を使っておばあちゃんに会ってきた。
おじいちゃんが亡くなってもう6年も経つ。
5年前、おじいちゃんの一周忌に会った時のおばあちゃんは、弱弱しくて、今にも消えてしまいそうだった。
それがずいぶん元気になってくれていたようだったので、よかった。
誰かと結婚して、誰かと暮らすということ。
「人」って漢字の成り立ちじゃないけど、ふたりでお互いに体重をかけあって、まっすぐに立つということだと思う。
40年以上そうやって支えあってきた人がいなくなってしまう。
よく5年ちょっとで立ち直ることができているなと、自分のおばあちゃんながらすごいと思う。
ふたりで支えあっているところに子どもが生まれて、子どもがしっかりその足で立つまでは、子どもの重さも背中に背負って。
今、おばあちゃんは自分の重さだけを自分で支えている。
そんなおばあちゃんが、わたしに
「残せるものは何でも残したい」
と言ってくれた。
わたしは今までおばあちゃんにやさしくしてもらった思い出や感謝の気持ちがいっぱいあるから、それだけで十分だと言ったのだけど、おばあちゃんはそれじゃ気がすまないらしい。
でも確かに、わたしがこのまま死んでしまうとして、どうしたいかと考えたら、やっぱり好きな人たちの役に立ちたい。
みんなの思い出の中だけで生きたくはない。
今、目の前にいるこの人は、わたしのおばあちゃんである以前に、ひとりで立っている女性だ。わたしと同じ。
そう思うと、大好きなおばあちゃんが、大好きな友達のように思えてきた。
友達だったら、相談に乗ってあげるのがふつうだ。
本当なら絶対孫がおばあちゃんに話すことではないのかもしれないのだけれど、遺言のことについて話した。
タブレットでサイトを見せて相談しながら、タッチやスワイプ操作を難なく使いこなすおばあちゃんをぼんやり見ていた。
若いなぁ。
わたしはいったい何を話してるんだ……と思ったんだけど、おばあちゃんの顔は、友達に相談に乗ってもらった女の子の顔に見えて、いきいきとしてるように見えた。
わたしも今度相談に乗ってもらおう。
友達のひとりとして。