美しい、ということ

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全ての人の顔を見て同じ感想にならないということ。

 

確実に、世の中には「美醜」という判断基準が存在している。

 

誰もが皆平等っていうのは、やっぱりどうしても無理みたいだ。

 

美しければ、快の感情を持たれる。

そうでなければ、その逆になってしまう。

 

人にいい印象を与えられる方が生きやすいのは当然で。

わたしも生まれ持った限界は感じていても、その限界にできるだけ近づけたいと思う。

 

人の見た目には、美しさと別のところに「個性」がある。

その個性をうまく活かすがどうかで美しさは大きく変わってくると思う。

 

わたしは特にそうだ。

あまり女の子らしい顔や体つきをしていない。

中性的だね、とよく言われる。

 

小さい頃は、それがすごく嫌だった。

女の子らしくなりたいと思った。

そういう化粧や服装にチャレンジしようともした。

だけど、悲しいくらいに似合わない。

もっと中性的になろう、かっこいい女の人を目指そうと思えたのは20代が始まったころだった。

 

学生生活が終わり、社会に出る必要が出てくると、今度はどれだけ似合うとしても、あまりかっこよすぎるのはダメなのだということを学んだ。

女に生まれたからには、社会的に与えられた女の役割があるということを叩きつけられた。

どれだけ男女平等を叫んだところで、今の社会は「そう」でしかない。

 

今はそれなりに女性らしい服装に落ち着いている。

今、目指すところは宝塚の男役だ。

しかも、現役ではなくて、元・宝塚くらいがちょうどいい。

だいたいの元・宝塚男役の人たちは、今は女性らしくなって、中性的な女性が落ち着くところとして最適なんだろうな~という感じになっている。

わたしも見習いたいと常々思っている。


EQUOL Life(エクオールライフ)さんの写真アルバム - EQUOL Life(エクオールライフ) | Facebook

 

この羽鷺つばささんなんかはすごく綺麗でかわいくて、憧れてる。

こんなかわいくても元々は男役だ。

 

社会の言うなりになって、自分の良さを殺して女性らしく振舞わなくてはいけないのは、ちょっぴりムカつくししんどさもあるけれど。

だけど女に生まれたからにはそのことを楽しめるようになりたいと思う。