この間からずっと、人のために働くということについて考えている。
考え始めたきっかけは、自分が保育士の仕事を探していたことと、その時に子育てについて考えたことだったのだけれど、考えているうちにふと、看護師の仕事をやめてしまったわたしの友人に考えが至った。
仕事というものは、自分の時間を代償にして誰かの役に立つということだと思っている。
もちろん、そこにかけるのは自分の時間だけじゃなくて、知識だったり技術だったり経験だったりもあると思う。
そして、それを成果として出さなくてはいけない。
この、成果として出すということが、どれだけ時間や知識や技術があっても、人にわかりやすい形で出せないと、評価されないのかなということを思った。
わたしの友達は、看護師をやめてしまった。
それはあまりに彼女の時間を仕事にかけすぎて、彼女の体が壊れてしまったから。
わたしから見て、彼女は頭も良くて、てきぱきと動けて、人一倍技術をつけるために頑張っていたように見えた。
そんな彼女でも、時間が足りなかった。
きっと彼女と同じくらい、あるいは彼女よりも知識や技術の劣っている人が、彼女よりもうまくやっていることって、世の中にたくさんあるんだろうなと思う。
それは、成果を評価されやすい形で見せるのがうまい人もいるんだろうし、彼女みたいにそれがあまり上手でなくても、周りがきちんとそれを掬って評価してくれる環境にある人もいるだろう。
たとえば、技術をつけたり知識をつけたり、そういうための努力は簡単ではないけど、やればできることなんだと思う。
逆に、圧倒的に知識や技術があって周りに「すごい」って思わせないと、結果だけで周りを納得させるのって難しい。
やればできることを、どんどん積み重ねて、人と違う世界にまで行く。
それはやればできることじゃないと思う。
とすると、結果が出るまでの過程を上手く見せて、評価してもらうしかない。
彼女はそれが人よりちょっぴり苦手で、周りもそれを掬ってあげられない環境だったんだろうなと思う。
過程を上手く見せることをできるかどうかは、その人のセンスだと思う。
そういうセンスがなければ、あとは周りが評価してくれる環境に行くしかない。
そういう意味でも、働く場所ってとても大事だと思った。
彼女はまた年明けから働き出すらしい。
わたしも一緒に探してあげているのだけど、そういう環境かどうかは、働いてみないとわからない。
臆病になってしまう気持ちもわかるし、実際彼女の仕事探しはあまり進んでいないんだけど、みんなはそういう臆病な気持ちに、どうやって踏ん切りをつけるんだろうな。
みんな自分を捨てる覚悟ができているんだろうか。